アルコール依存症

アルコール依存症が分かるまでの道のり〜入院〜

ついにアルコール専門病院に入院することになった主人。10年かかりました。

別居に合意してもらう。

朝6時の新幹線で父と1歳の次男と私と、主人の実家に話し合いに行きました。

憂鬱だった〜。

私たちが実家に到着した時、まだ主人は来ていませんでした。

嫁の父親が来ると分かっていながら、遅れてくるっておかしい。

しかも、別居の話しって分かってるのに。

おかしい、おかしい。

そう思っていたら、主人が車で到着しました。

駐車するときにぶつけたのか、すごい音がして。

ガラガラとドアを開けた主人は別人になっていました。

口は半開きで、よだれがでそうになっている、そして目はうつろ。ゆっくりとしか動けない。

そして異様な臭いがする。

まるで死人のようでした。

主人の父は私の話しを聞く前に、夫婦であればいいときもあれば悪いときもあるから、ここはひとつ戻ってきてなんとかやってほしいと軽ーく言いました。

お義姉さんは今まで全然しらなくて、サポートできなくてごめんなさい、今は規則正しい生活ができるように努力してるんです。と泣きながら言われました。

おい、全然分かってないやないか。

今までの経緯は→こちらと主人のアルコール依存症の悪化でDVを受け、心身共にダメージを受けている、今一緒にいると主人も私も共倒れになってしまう、

主人の病気の回復と社会復帰をして私たちを迎えにきてほしいと伝えました。

ただ迎えにくるんじゃない、迎えにくるんだったら現金100万円を貯金し、それをもって迎えにくるようにつたえました。

アルコール依存症の主人にとってはかなり厳しい条件で、奇跡でも起きない限り実現は難しいであろう。

それには5年〜10年かかるかもしれない、でも私たちは待っていると。

主人は「5年て。。。」と一言。

主人の両親とお義姉さんはいちお了解してくれました。

スリップ(再飲酒)していた主人

主人の様子がおかしいと思っていましたが、

スリップ(再飲酒)していたことがはっきりわかったのは

荷物をまとめるのに、自宅に行っていた時のこと。

主人と2人きりだと怖いので、お義姉さんについてきてもらいました。

あとで主人のお父さんが段ボールを持ってきたときに、ジュースを冷蔵庫にいれようと、お父さんが冷蔵庫をあけようとするとノブに手とかけた瞬間、

「勝手に人んちの冷蔵庫あけんな!!」

と怒ったのです。

「あぁ〜お酒飲んでるな」

と思いました。

たぶん隠していたお酒がまだ冷蔵庫にあると思って、勝手に開けた主人の父を怒鳴ったと推測。

飲んではいけない、罪の意識を持ちながら飲んでしまう。

冷蔵庫にも部屋にもお酒の缶はありませんでした。主人にも問い詰めませんでした。でも飲んでることはわかりました。

断酒会でスリップのことは聞いていたけど、1ヶ月の間に簡単にスリップし、それも状態も悪くなっており、

アルコール依存症とは、

進行性の病気なんだと主人を見て思いました。

ついにアルコール専門病院へ入院

一晩ホテルに宿泊し、翌日は引っ越しの手続き(市役所関係、職場、保育所など)をして、実家に戻る予定でした。

なぜか胸騒ぎがした私は、ずっと相談にのってくださっていた精神保健福祉士の先生に、主人の様子がおかしい、もし、入院するといったらすぐ入院できますか?とメールを送っていました。

何通かメールでやりとりし、今だったらベッドの空きがあるようだとお返事をもらいました。

朝8時くらいだったので、まず職場に行こうと思い、職場に向かっていた時に、主人から電話がかかってきました。

「今から仕事に行こうと思う。車何時まで使う?」

いやいや、仕事なんかいかれへんやん。おかしい、おかしい。

「今からアパート行くから、待っといて!」

入院させるつもりでアパートに行きました。

主人の父に、今から主人に入院してもらうために入院治療を説得しにいくので、アパートに来てほしいと言うと、

「昨日別居の話を聞いてだいぶ落ち込んでるから、言わないでくれ。早めに入院させるようにするから」

とこれまた簡単に言う義父。

アルコール依存症の知識も全くないくせに、よく言えたもんだ。

主人の両親にあるのは息子の命を守る愛情ではない。世間体だけなのです。

主人は両親から愛情を全く受けず育ってきたことが本当にかわいそうに思います。

あの主人の状態を見て、嫁から別居の話もされ、借金も400万円もある。それでも危機感が全くなく、私は翌日電話したときには、義理父はのんきに畑に、義理母はのんきに歯医者に行っていました。

信じられない。。。

アルコール専門病院は本人が治療するために入院すると言わないと、入院できません。

主人の両親はあてにならない。

1人で主人に会いに行くのは危ない。

でも誰かについてきてほしい。

そう思った私は私たち家族にいつも声をかけてくれる1階に住んでいるおばあちゃんのところに行きました。

主人はアルコール依存症で入院治療が必要なので、一緒に説得にいってほしいとおねがいすると、

「うん!行こう行こう」と快くついてきてくれました。

おばあちゃんにお願いするのは気が引けましたが、そこしか頼るところがありませんでした。

アパートの部屋にいくと、死人のような主人がでてきました。

私「このままここにいてもよくなることはない。1日でも早く、子供に会いたいでしょ。」

主人「俺の気持ちもしらないで。ここにいてもよくなる」

私「あんたの気持ちなんか分かるわけないやろ。分かるところいかないと。あんたの気持ちをわかってくれるのは病院しかない、今そこにいかないでどうすんの」

ここでおおばあちゃんが「私が口を挟むことじゃないけど、女がここまで言うってことは腹決めてるよ。入院して治療したほうがいいんじゃない」と主人に言ってくれました。

主人「俺入院するってこと?」

私「そう」

主人「わかった。入院する。」

時間は9時になっていましたので、すぐ病院に電話しました。

精神保健福祉士の先生が話してくれていたおかげでスムーズに話が進み、午後から外来受診、入院の準備もしてきてくださいと言っていただきました。

病院につき、外来の待合室で、飲酒していることを私に告白した主人。

分かってるしな。それがあなたの病気です。

やめたいのに、やめられない。

わかっちゃいるけど、やめられない。

アルコール依存症という病気。

人間関係を破壊していく病気。

命に関わる病気。

アルコール依存症。

主人の両親は毎日主人と会っていたにも関わらず、飲酒していたことに気がつかなかったそう。

外来の先生「スリップしてますよね。だいぶ前から飲んでたでしょ。」

義父「あほや。お前(義母)がお金渡すからやろ。」

義母「だってたばこ買うって言うからやん」

バカ親め。

息子の命なんやと思ってんねん。

外来での診察が終わり、入院することになりました。

主人は離脱症状の手の震えで同意書にサインするのも一苦労でした。

アルコール依存症と診断されるときには、発症から10年は経ってる。

アルコール依存症は、別名「否認の病気」とも言われる。

本人や家族が否認したがるため、診断され、治療するのが遅れる。

家族会で教えてもらったのは、

アルコール依存症と診断されたときには、発症から10年は経っているという事。

という事は、私は主人と出会った頃から、主人は依存症予備軍であり、私は共依存だったという事。

思えば、出会ってから、お酒飲まない日は1日もなかったし、休みの日は朝からビールを飲んでいました。

買い物に行く時は、まとめ買いしとこう!とビールをケースで買ったり。

ただ、日常生活にも、仕事にも支障がなかったので、飲みすぎたりしたら嫌だなと思っていても、さほどきにしていませんでした。

こんなレベルの人はそこらじゅうにいることと思います。

お酒を飲む人は誰でも依存症になれます。

そして、私は主人と付き合っているときに1度、お酒を飲み、なにが気に入らなかったのか、私の首を絞め、暴言を吐いたこともあります。

「誰か助けて」

その声は誰にも届くこともなく、誰に届けることもなく、いつのまにか、じぶんの中でなかったことにしていました。

あの時、真剣に嫌だという自分の気持ちに向き合っていたら。。。

真剣に別れる、逃げることを考えていたら。。。

首を絞められたことは1度だけですが、これは犯罪です。

しかし、私は次の日普通に主人と生活をし、そのままずるずると同棲を続けていました。

そして長女を妊娠したのです。

こんな状態から、アルコール依存症と診断され、入院するまで約10年間。

私のこれからも前途多難か。。。

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