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アルコール依存症が分かるまでの道のり〜共依存とは〜→こちら
アルコール依存症が分かるまでの道のり〜断酒会、家族会との出会い〜→こちら
家族も正常な思考ができなくなっている。
私が仕事に復帰した当時、主人はまだ飲みっぱなしでした。
朝までお酒を飲んでいるにも関わらず、以前勤めていた職場に電話をかけ、雇ってもらえるように言っていたのです。
「今から仕事いくから」といい、ベロベロのまま車を運転しようとしました。
事故でも起こしたらいけない、もしも人に怪我でもさせたらいけないと、とりあえず主人を仕事場まで送り、そっと親方に「言うことを聞かないからつれてきたけど、仕事は無理なので帰してください」と電話をかけ、私はその後仕事に行っていました。
あとで私が仕事なんかでできないから帰してと親方と連絡を取り合っていることを知った主人は、仕事中の私の携帯に何十回と電話をかけてきて、
「お前のせいで人生台無しや!」
「俺の人生かえせ!」
などと、暴言を吐きまくっていました。
私は職場におしかけてこないか、職場の電話にかけてこないか、気が気じゃありませんでした。?
飲酒運転し、お酒を買いにいく主人を
「人様はだけは傷つけず、お前は死んで帰ってこい」
私はそんなことを思うようになっていました。
そんな気持ちを断酒会や家族会、精神保健福祉士の先生のカウンセリングで吐き出し、主人への対応を徐々に変えて行きました。
長期に渡り、アルコールの害を受けた家族は自身が感じていなくても相当なダメージを受け、正常な思考ができなくなっている。気持ちをわかってくれる誰かに吐き出すことが大切と思う。
一生お酒は買わない。
だんだんおかしくなって行く主人を見て、ようやくもう飲ませれない、私もお酒は買いに行かないとやっと決めることができました。
今まで毎日買っていたお酒を買わない。
主人にとっては今まで支えにしてきたものを取られるわけで、相当暴れることが予想されました。
精神保健福祉士の先生とも、打ち合わせをし、先生のアドバイスで、警察にも電話し、事情を説明、巡回してもらうようにお願いしました。
そしていざと言う時は家から出て行くようアドバイスを受けました。
予想通り、暴言、髪の毛を引っ張るなどの暴力があり、子供3人をとともに車で一夜を過ごしました。こんなことが3、4回ありました。
仕事に行かないといけないので次の日には家に戻らないといけなかったりで1週間ほどは落ち着かない日々が続きましたし、離脱症状もありましたが、この時からお酒を絶って行きました。
「もうお酒飲んでる人とは生活できません。」
家族が今までとっていた行動を変えることで、本人も行動を変えざるを得なくなる
お酒買う→買わない
飲む→飲まない
断酒1年半、少しずつ穏やかな生活ができるようになる。
お酒を全く飲まなくなって、今まで住んでいた家賃7万円の賃貸から主人を説得して市営住宅に引っ越ししました。
主人が仕事ができなくなってからの4年間で借金が膨らみ、家賃も借金して払っていたのです。
借金についての記事は→こちら
この断酒してからの1年半で、市営住宅に引っ越しをする、第4子を妊娠し、出産しました。私が働かない間は主人の両親が生活費をだしてくれていました。
しかし、借金の返済もあり、全く足りず、少しずつ借金する生活が続いていました。
主人は病気の子供の面倒を見たり、晩ご飯をつくったりできるようになっていました。
借金はあるものの、ギリギリ返済し、お酒を飲んでいない主人との生活はこんなに穏やかだったのかと思うほど、信じられない生活でした。
しかし、主人がお酒を飲まなかったのは、お酒を飲めば離婚されるので、我慢していただけで、我慢でお酒が辞められるほど、アルコール依存症は簡単な病気ではなかったのです。