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アルコール依存症が分かるまでの道のり〜共依存とは〜→こちら
まず「家族が行動すること」の大切さ
内科の病院に行き、禁酒を指導されてから、3ヶ月は禁酒した主人。
その頃私は知人に主人のアルコール問題を打ち明けていました。
すると、なんとなんと、
その知人の息子さんもお酒の飲み方がおかしいことが判明。
飲酒運転で事故したこともあるそう。
知人の方がまず行動されたことは
保健所に行く。
ことでした。
相談に行かれたんですね。
1)保健所
こころの健康、保健、医療、福祉に関する相談、未治療、医療中断の方の受診相談、思春期問題、ひきこもり相談、アルコール・薬物・ギャンブル依存症の家族相談など幅広い相談を行っています。
相談は電話相談、面談による相談があり、保健師、医師、精神保健福祉士などの専門職が対応します。また、相談者の要望によって、保健師は家庭を訪問して相談を行うこともできます。
面談や訪問を希望する場合は事前に電話での予約をお勧めします。 保健師は地域を分担して受け持っており、たいていの場合相談者の居住地の担当保健師がその相談に対応します。自分の担当地域の保健師と会っておくと、その後の相談がスムーズに進みます。厚生労働省HPより引用
保健所で、アルコール依存症のための会「断酒会」と依存症患者を持つ家族のための「家族会」を紹介してもらったとのこと。
その知人の方に誘われて、私も断酒会や家族会、それと、精神保健福祉士の先生の個人カウンセリングも受けるようになっていました。
この一歩が私たちのこれからを変えることになりました。
後で知りましたが、この断酒会や家族会に家族が繋がるまで数十年かかる方がほとんどだと。保健所に行く、その勇気ある一歩で救われる。
共依存を抜け出すことは難しい
主人はと言うと、アルコール専門のクリニックに通院することができ、3ヶ月間は禁酒しました。
3ヶ月後、肝臓の数値はよくなっており、
「肝臓の数値もよくなったし、これでまた飲めるな。」
「3ヶ月辞めたんやからええやろ。」
「あんな腹出てるおっさん(アルコール専門クリニックの先生)の話なんか聞けるか、自分のメタボ治してから人にもの言えや。」
などと色んな理由をつけ、通院を勝手に辞め、再びのみ始めました。
その時は、週1回の断酒会に月1回の家族会、個人カウンセリング、時々行われるアルコール依存についての勉強会に参加するようになっていました。
しかし、そのような勉強はしていても、
「主人だけはアルコール依存症じゃない。きっとやめられる。」
と心のどこかで否認していました。
「アル中なんてごめんだ、私がなんとかしないと」
そんな気持ちで、再び飲み始めたことをそんなにも重要視していませんでした。
それこそ
「やめようと思えば、いつでも辞められるだろう。みんな大げさに言い過ぎだ」
そう簡単に思い、再びお酒を買ったり、片付けをしたり、また仕事にも復帰し私が生活費まで稼いでいました。
共依存から抜け出すことはそう簡単ではなかったのです。
これではいけないと気づく。
しかし、24時間365日飲みっぱなしの生活の中で、主人の言動が、
「普通の酔っ払い」
とは明らかに違ってきました。
お酒を買うために、10円単位でお金をせびるようになったのです。
お金を渡さないと、
髪の毛を引っ張り、
「お前頭悪いんか。買ってこいよ。しばくぞ。」
などと、酒をプンプン臭わせ、言ってくるのです。
小さな子供たちの前でそんなことをしてくる主人が信じられず、恐怖でした。
その時は主人から異様な臭いがするようになっていました。
表現は難しいのですが、近づいてくると、「ゔっ」となるような、毒素の臭いと言うか、アルコールの代謝が全然できていないんだろうなと思わせる臭い。人間じゃない臭いがしていました。
人間の様相をした怪物?物体みたいな感じ。
ちょうどその時、
アルコール依存症の勉強会で、先生がアルコール依存症の脳の状態について話してくださいました。
依存脳の仕組みをわかりやすく説明してくれ、
それを聞いた時、本当にお酒を1滴も飲んではいけないんだ、このままだと死んでしまうんだと初めて気がつきました。
断酒会や家族会は、「これが答え」と言う回答はなく、その中に身をおき、うちの場合はどうか、どうしたらいいかなど、自分で感じ、行動するしかありません。でも仕事しながらでも、無理して断酒会や家族会に行っていたおかげで主人の異様さに気がつくことができました。