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堀江貴文の生い立ちが衝撃!ライブドア設立や事件の真相とは?

何かと話題のホリエモンこと堀江貴文さん。

ホリエモンの生い立ちってどんなものだったのか?

気になったので調べてみました。



堀江貴文の生い立ちは?

堀江貴文の幼少期

 

ホリエモンこと堀江貴文さんは1972年10月29日に福岡県八女市の普通のサラリーマン家庭に産まれます。

福岡県八女市といえば、お茶ですが、ホリエモンの実家も周りはお茶畑だらけの田舎だったそうです。

実家は300坪ありますが、ホリエモンが生まれた当時は戦後の手作りの建物で、お風呂はドラム缶という衝撃的な家だったようです。

戦後と言ったらこんな感じだったのでしょうか。

堀江貴文さんは一人っ子として育てられました。

この頃には珍しく、母親も働いていました。

またお見合い結婚の両親の中はあまりよくなく、3人で出掛けた事もなく、授業参観も仕事優先できたことがなかったそうです。

ホリエモンの幼少期はあまり愛情がかけられていなかったことが分かりますね。

堀江貴文の両親

堀江貴文さんの両親はどんな人たちだったのでしょうか?

堀江貴文の父親

・トラック販売会社(日産ディーゼル福岡販売)の佐賀支店

・高校卒業後、早期退職するまで同じ会社に勤務

・寡黙な人

・何事も相談せずに物事を決めてしまう。

・口答えすると「せからしか!(うるさい)」と一蹴する激情型。

・ホリエモンが中学生までは、厳しく叱られたり、ひどい時は木に縛り付けられて、戸を閉められる

ここまで見ると、

THE・昭和の親父

って感じですね。

令和の時代にこんな父親がいたら虐待で通報されそう。。。

ただ、堀江貴文さんは父親との楽しかった思い出もあるようで、

・年に1回は海水浴に連れて行ってくれた

・遊園地や神社に一緒に行った

と言った思い出もあるそうです。

しかし、そこに母親に姿はなく、父親と2人で出かけていたようです。

母親も働いていたし、両親の仲があまり良くなかったことが分かりますね。

またホリエモンが孫を連れて遊びに行った時は孫と一緒に大はしゃぎしたり、ライブドア事件で収監される時は「まぁ頑張れ」と言った手紙を送るなど、

厳しい中にも愛情のある父親

だったのではないかと思われます。

堀江貴文の母親

・ホリエモンが2歳までは、ホリエモンをおんぶして野菜を売って歩いていた。

・その後自動車学校の事務で20年間勤務

・堀江貴文さんが少年だった頃、母親の命令に反論すると「お前も殺して、私も死ぬ!」と台所から包丁を持ち出してきたことがある。

ホリエモンは母親のことを

どこまでも激しく、どこまでも不器用な人

と評しています。

では、堀江貴文さんの母親が不器用だったエピソードをご紹介しましょう。

ホリエモンが大人になって成功したある日、母親から電話がかかってきたそうです。

車を買い換えようと思っているの。
還暦だから赤がいい

この言葉を聞いて、

「還暦祝いに赤い車をプレゼントして欲しい」

とピンとくる男性は少ないのではないでしょうか?

ホリエモンも例外ではなく、母親の言っていることが理解できず聞き返していると、

「もういい」と怒って電話を切ったそうです。

このエピソードからも、不器用な母親が想像できますね。

堀江貴文さんと母親は、ライブドア事件で収監され、出所後したあたりから交流が増えてきたようです。

・GLAYのコンサートを一緒に見に行く。

・一緒に打ち上げに参加

・誕生日パーティーにサプライズゲストで登場、母からの手紙を受け取る

堀江貴文さんと母親はホリエモンが成人した後の方が接点が多いようですね。




堀江貴文の少年時代

「情報ジャンキー堀江貴文」の原点となる出来事がこの少年時代にありました。

堀江貴文さんは5歳の時に、倉庫の窓から飛び降りて、左手を骨折してしまいます。

そのため、1ヶ月ほど幼稚園を休まなければいけなかったそうです。

家には高齢の祖母しかおらず、退屈した堀江貴文少年は家にある

「百科事典」

を開きます。

宇宙・歴史、医学・自然科学・考古学など、情報がすらすら頭の中に入ってくる感覚が心地よかったそうです。

5歳にしてこの感覚とは、天才ですよね。

学生生活では

教科書を1度読めば、理解できた。
勉強らしい勉強はしていなかった。それでもテストではいつも100点だった。

と、周りの学生とは違った堀江貴文さん。

自分自身でも周りと違うことは自覚していたそうです。

周りと違うことにイラつくのか、

よくキレる問題児

だったそうです。

よくキレるというのは今も変わっていないような。。。w

1985年福岡1の進学校である

「福岡久留米大学附設中学校」

になんとなく入学した堀江貴文さん。

入学祝いで買ってもらったMSXパソコン「日立H2」が人生第一号のパソコンになります。

2020年現在の感覚だと、入学祝いにパソコンは当たり前のように思いますが、

1995年に発売されたWindows95が発売日当日の大騒ぎは、

Iphone6を上回る騒ぎだったとか。

1995年のWindows95より、さらに10年前に当時中学生がパソコンを持っていたということになります。

しかし、知識や技術が向上してくると、このパソコンでは飽き足らず、

家電量販店のデモ用マシンをいじる

当時通っていた塾のパソコンのシステム移植作業という「ギャラ十万の仕事」をこなす

そんな恐ろしい中学生になって行きました。

高校はエスカレーター式で

福岡久留米大学附設高等学校

に行きますが、パソコンに没頭したホリエモンは

「勉強する必要を全く感じなかった」

ようです。

当然、学校の成績はガタ落ち。

しかし、ホリエモンはなんと

東京大学

に行く決意をします。

高校3年時に受けた模試での東京大学への合格可能性判定はF判定(合格不可)

別の大学(それでも一橋大学)に行くよう担任から言われますが、半年間の勉強で

東京大学へ合格

した堀江貴文さん。

ここまで見ると、

天才

という言葉がぴったりの堀江貴文さんですが、中学、高校と学校ではかなり浮いていたことが容易に想像できます。

また両親の不和もあり、それなりに悩みもある人間的な一面もあるホリエモンでした。




堀江貴文のライブドア事件とは?

堀江貴文さんといえば、

ライブドア事件ですよね。

気になる会社設立からライブドア事件まで見てみましょう。

堀江貴文の東京生活

東京大学入学後、駒場寮の北寮へ入寮した堀江貴文さん。

東大に合格したものの、一流企業に就職しようと猛勉強する同級生に対し、

「馬鹿じゃないの」

と冷ややかな視線を送り、勉強にも興味を持てなくなっていました。

学校にも行かなくなったホリエモン。

代わりに麻雀・酒盛り・競馬と堕落した生活を送っていました。

特に競馬にハマっていたようで、競馬で食べていけると勘違いしていたホリエモンw

誰にも会わずに競馬の予想をして1日が終わるようなこともあったそうです。

寮の同部屋となった二人の先輩のうちの一人(後にオン・ザ・エッヂ〔後:ライブドア、現:LDH〕の設立メンバーの一人となる人物)から、塾講師のアルバイトを紹介してもらい、

塾講師のアルバイトで遊び金を稼ぐ

といった生活をしていました。

アルバイト先の塾で、共同で会社を設立することとなるメンバー有馬あきこさんと知り合っています。

堀江貴文とインターネット

そんな自堕落な生活を続けているうちに大学4年生になっていた堀江貴文さん。

さすがにやばいと思ったのか、

どこだったらこんなダメなやつを受け入れてくれるか?

と考えている時に、

パソコンの存在

と思い出します。

大学に入ってからパソコンはやめていましたが、中学生の時に夢中になったパソコンが彼を救うことになるのですね。

しかし、やばいと思った時の発想の転換がすごいですよね。

普通の人なら就職を考えてめっちゃ就活しそうなところですが。。。

掲示板でパソコン関連のアルバイトを見つけた堀江貴文さんは、塾講師のアルバイト代の半分しかもらえないパソコン関連のアルバイトを始めます。

パソコン関係の会社「フィクス」でアルバイトを始めた堀江貴文さんはすぐに仕事にも慣れ、いろいろな仕事を任されるようになったそうです。

そこで運命のインターネットと出会います。

当時WEBホームページなど日本に10サイトくらいしかなかった時代に、ホームページ作成やWEBサーバの構築を手掛けていた堀江貴文さん。

これからはインターネットの時代がくる

そう確信した堀江貴文さん。

仕事がありすぎて人でも足りなかったので、塾講師のバイトで出会った、パソコンが使える有馬あきこさんをアルバイトに引っ張ってきたのでした。

堀江貴文とライブドア設立

東大在学中の1996年、ウェブページ制作請負会社である有限会社

オン・ザ・エッヂ

を設立した堀江貴文さん。

設立資金600万円は当時の交際相手である

有馬あきこさんの父親が出資

してくれたそうです。

条件として、

「大学はきちんと卒業すること。」

と言われていたホリエモンでしたが、結局卒業はできませんでした。

当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目されました。

レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負いながら急速に成長していったオン・ザ・エッヂ。

2002年には経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得し、

ライブドアが誕生します。




堀江貴文のライブドア事件とは?

ライブドアは2002年から2005年まで

プロ野球球団

弥生会計

日本放送

カーチス

セシール

を次々と買収して行きます。

しかし、2006年、ライブドアの2004年9月期年度の有価証券報告書に虚偽の内容を掲載したとする疑いが持たれました。

証券取引法等に違反したとされる2つの罪で、法人としてのライブドアとライブドアマーケティングおよびライブドアの当時の取締役らが起訴されたのがライブドア事件です。

従来の粉飾決算事件は企業が経営破綻してから捜査されたのに対し、

ライブドア事件は経営破綻していない会社が捜査された。

ことが特徴的で、世間でも大きな注目を浴びました。

結局有罪判決で2011年6月にモヒカン頭で出頭し、収監されました。

ここまで堀江貴文さんの生い立ちからライブドア事件までを振り返って見ると、

今を生きることに集中したい

という堀江貴文さんの生き様が見えてきたのではないでしょうか?

これからのホリエモンにも期待したいですね!

 

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